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英彦山について
霊山としての英彦山

英彦山は、古来から神の山として信仰されていた霊山で、御祭神が天照大神(伊勢神宮)の御子、天忍穂耳命であることから「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれていました。
嵯峨天皇の弘仁10年(819年)詔(みことのり)により「日子」を「彦」に改められ、霊元法皇、享保14年(1729年)には、院宣により「英」の1字を賜り「英彦山(ひこさん)」と改称されました。

また、英彦山は出羽の羽黒山、熊野の大峰山と並び日本三大修験道の霊場として、広く九州全域の人々の信仰を集めていました。
江戸時代の最盛期には、俗に「彦山三千八百坊」といわれ、3,000人の衆徒と坊舎が800を数えたと伝えられています。
山内にある49カ所の窟で山伏が修行を行っており、現在も登山道を歩いているとかつての行場があちらこちらに見られます。

英彦山神宮

英彦山神宮

御祭神

主神 稲穂の神、農業神で知られる天忍穂耳命(天照大神の子)
配神 イザナギノミコト・イザナミノミコト

英彦山は古来より御神体(神体山)として信仰されており、3峰で構成される英彦山中央の中岳の山頂から山腹にかけて上津宮・中津宮・下津宮があり、その下に奉幣殿、英彦山全域に摂末社が点在しています。

御社殿並摂末社

英彦山 御社殿並摂末社

御本社(上宮)

北岳・中岳・南岳を神格化し、各峰に一祭神をまつり、古代より神体山として信仰されてきました。
中岳山頂に御本社(上宮)があります。
神武天皇が御東征の時、天村雲命(あめのむらくものみこと)を遣わされて祀られたと伝えられています。

奉幣殿

修験道時代の霊仙寺の大講堂で、現在の建物は、元和2年(1616年)小倉藩主細川忠興によって再建。
桃山建築様式で、以後小倉藩主によって修復されて現在国の重要文化財に指定されています。
朱塗りの柱やこけら葺きの大屋根が常緑の杉の緑に映え、深山の雰囲気に絶妙にとけ込んでいます。
通常の祭典はここで執り行われます。

摂社

産霊神社 高皇産霊神
(たかみむすびのかみ)
玉依姫
(たまよりひめ)
熊野久須毘命
(くまのくすびのみこと)
中津宮 市杵嶋姫命
(いちきしまひめみこと)
多紀理毘売命
(たぎりひめのみこと)
多岐津毘売命
(たぎつひめのみこと)
下津宮 須佐之男命
(すさのおのみこと)
神武天皇 大国主命
玉屋神社 邇邇芸命
(ににぎのみこと)
猿田彦大神
(さるたひこのおおかみ)
 

末社

大南神社 上津神社 中島神社 など11社の末社があります。

招魂社

勤皇義僧の墓所で、田川護国神社の奥宮として、11柱をお祀りしています。

銅鳥居(国指定重要文化財)

参道の石段を登ると、高さ約7mの大鳥居がそびえています。
柱は青銅製の円筒6個を積み重ねでき柱の周囲は3m余りもあります。
佐賀藩主鍋島勝茂公の寄進によるもので、霊元法皇の「英彦山」の勅額が当時の威勢を偲ばせます。

四土結界

英彦山は鳥居を境とし、「凡聖同居土」から永年浄土の「常寂光土」まで四つの世界に分けられ、「四土結界」といわれていました。
かつては結界ごとに行われる祭祀や居住できる人、作れる食物などの決まりがありました。

英彦山 銅鳥居
凡聖同居土・・・ 銅鳥居よりふもとは、凡人と聖者がともに同居する土。凡聖雑居界。
方便浄土 ・・・ 銅鳥居より上は、仮の浄土。行者界。
実報荘厳土・・・ 石の鳥居より上は、修行専念の聖域。菩薩界。
常寂光土 ・・・ 永遠絶対の浄土。仏界。

店舗情報

店舗名
たんぽぽ村 花山
所在地
〒824-0721
福岡県田川郡添田町大字英彦山1337
営業時間
10:00〜16:00頃
定休日
天候により不定休